ふと、懐かしい光景が蘇った。
高校生の虎だ。
体育の授業にしても、球技大会や体育祭の行事にしても、休み時間にしても、積極的に体を動かしたがるタイプではなかった。それでも、汗だくになって走り回ることはあったし、思い切り水を掛け合ってはしゃぎ、最後に最悪だと嘆くこともあった。
太陽の光を取り込んで、汗を光らせて。髪の先から、指先から、捲れた服から顕になったお腹から、滴る汗。自分で思っていたよりもそれは鮮明に再生され、今目の前で額の汗を拭った虎を見上げながら、愛おしさに胸がきゅっとするのを感じた。

「なに、」

「暑そう、だなって…」

「暑い」

「クーラーつける?」

「そこまでじゃない」

でもすごい汗だ。
水も滴るいい男とはよく言ったもので、確かに、濡れているというだけでどうしてか扇情的に見える。欲に濡れた瞳の黒さが際立つからか、汗で肌が艶めいているからか、後ろに撫で付けて晒された額と、余裕なさげに寄せられた眉間がよく見えるからだろうか。
なんだっていい、なんだっていいから早く触れたくて、僕は背中を浮かせてキスを強請るように虎の顎先に唇を押し当てた。じんわり、広がる虎の体温と汗の匂いに意識が揺らぐ。
ああ、この人が好きでたまらない。本能で求めているのを痛いくらいに感じる。体を重ねる時特有の熱に、暑さに、瞼を伏せて溺れるように声を漏らして、虎の背中を掻いた。



「あっちー」

「うわ、達郎すげー汗」

「いいよもう、この後帰るだけだし。水浴びして着替えれば」

「そのびしょびしょの体操着どうやって持って帰るんだよ」

「ちゃんと袋持ってきてるからな」

用意いいなと笑った何人かの声の先、同じように汗に濡れた虎が気だるげに水道の蛇口を捻った。蛇口に繋がれたホースの先端を握っていた達郎くんは水が通った感触に口元を大きく緩め「行くぞー」と叫んだ。
球技大会が終わり、片付けも済ませた校庭は昼間の賑やかさを惜しむようにどこか寂しげで、けれど達郎くんの笑い声は軽やかに響く。僕はまだ強い日差しに視界を歪められながら、首筋から流れていく汗の感覚を辿った。

五月、気持ちよく晴れたその日、球技大会にはもってこいの天候と気温。それでも全力で体を動かす高校生には圧倒的に暑くて、僕らはみんな汗だくになり、それでもその日の成果を賞賛するように水を浴びた。

「虎!水!もっと」

「むり、これ限界」

「うっそ、弱くない?誰かホース踏んでるだろ」

「あ、湯井が踏んでる」

「おい、馬鹿、ホース抜けるって」

「え、」

「あ、」

と、もうすでにしっかり水浸しになった僕らはホースを踏んでいた湯井に視線を集め、「虎」と誰かが声を上げるのを遠くに感じた瞬間。蛇口からホースが外れ勢いよく飛び出した水が虎に勢いよくかかった。それまで一番濡れていなかったはずの虎はまともに被ったその水で誰よりも濡れる結果となってしまった。
それにまた大笑いして、結局体操着が絞れるくらいに水浸しになった僕らはもちろん先生にしっかり怒られた。けれど、そのお説教の最中、僕は不謹慎にも濡れた髪先がキラキラ光り、色濃くなった景色の中で輪郭をくっきり残した虎のことばかり考えていた。滴り落ちる汗とそれが重なって。肌を重ねる最中の噎せ返るような匂いを思い出して。
クラスメイト数人が並ぶ中で隣に立つ虎と時折腕が擦れ、その度に体が熱くなって全然話が入ってこない。呆れたように、けれど立場上正しい言葉を紡ぐ先生に申し訳なく思いながら、それでも僕は不誠実だと自覚しながら隣にいる虎の腕をわざと軽く擦り、こっそり、後ろ手に指先を絡めようと誘いをかけた。
もう汗は引いて、着替えを済ませた体はむしろひんやりしているはずなのに。
虎の指が僕の指先を受け入れて絡まった瞬間、再び体温が上がるのを感じた。

だめだ、触れたくてたまらない。
そんなことで頭がいっぱいで「すみませんでした」と声を揃えながら早く早くと虎の体温を求めていた。
虎は濡れた髪をヘアゴムで纏めていて、整った顔が惜しげもなく晒されている。短髪も似合うのだろうけれど、少し伸びた髪をざっくり纏め、輪郭を、目元を、首筋を隠さない髪型も個人的にはとても好きだと思っていた。

「う長かった…」

「ほんとな…うわ、もう打ち上げ始まりそうじゃん」

「もうそんな時間?」

「まだ。18時じゃなかった?全然間に合うけど急いだほうが良さそう」

「今急いだらまた汗だくになる」

「いやほんとにそれな。あれ、蓮達帰んの?」

「え、あ、」

「帰る」

「ええ、打ち上げ行かねえの」

「行かない」

「嘘だろまあ参加者少ないけどさあ」

打ち上げといってもクラス総出で、というわけではない。
それこそ行事後の学校付近は先生達の見回りがあるのが恒例で、あまり人数が多いと目立ってすぐに見つかってしまう。

「ごめん、今日は、ちょっと」

「虎が来るの期待してる女子多そうなのに」

「なおさら行かね」

「なんで!」

まだ蝉の鳴く季節にはとおい。
梅雨の気配もまだ感じない。
けれど春は尽きようとしている。足元に落ちる影の濃さを視界の端で捉え、「また明日」と声を漏らして片手を上げる。湯井は本当に帰るのと残念そうに足を止めた。打ち上げが嫌なんじゃない。どちらかと言えば今日のテンションをまだ引きずって楽しみたい。そう、思っているのは嘘じゃないのに。
今はそれ以上に優先したいことが、我慢できない浅ましい欲が勝ってしまっている。





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